守りに入って大失敗(黒岩 彰さん)

守りに入って大失敗 黒岩 彰さん

 黒岩 彰さんは、冬季オリンピック・サラエボ大会(1984年)の前年には世界スプリント総合チャンピオンになりながら、オリンピック本番でまさかの敗戦。黒岩さんは足りなかったのは精神力だと、当時のスポーツ界にはまだ導入が少ないメンタルトレーニングを取り入れたり、一人での海外武者修行など、貪欲な取り組みで4年後のカルガリー大会では500m銅メダルを獲得しました。

 黒岩さんの競技レベルの高さもありますが、期待や注目の中での失敗、それから4年の歳月をかけて臨む一瞬の勝負にはドラマがあり、これまでにも多くのテレビや雑誌で取り上げられています。

 現役引退後は、指導者として後進の育成につとめた後、プロ野球・西武ライオンズの広報課長、運営部長、球団代表などを歴任。昨年4月からはスケート界に復帰し、富士急行スケート部監督へ就任しています。

 この黒岩 彰さんのインタビュー記事を紹介します。

◇まずは、冒頭の精神力へつながる話。

・・・だからマスコミの期待がすごく高かったんですよね。毎朝起きればカメラがいる。あの頃はすごかったです、大学の寮の中まで勝手に入ってきて、取材し放題でした。世界選手権に優勝してから1年間は、常にカメラやマイクの前で「メダルの自信はありますか」っていう話になるわけで、簡単に済ませるために「メダル狙いますよ」って言ってました。“メダル、メダル”と頻繁に口に出していたんだけど、ある時期から“メダル”と口に出すとストレスになっている時期もあったんですよ。特にサラエボの空港に着いて「ここでメダル狙うんですよね」って言われた時、「あっそうか、俺は1年間メダルって言ってきたけど、メダリストでもなんでもないんだよな、ここで3位に入らないとメダル取れないんだよな」という不安が生まれた瞬間を憶えているし、その不安が恐怖に変わった日も憶えてます。思うように調子が上がってこないのに、取材でマイクを突き付けられると“メダル”と言わざるを得ない。そういう苦しい気持ちを、サラエボの地で味わっていた記憶がありますね。

◇次に、今回取り上げようと思ったあまり知られていない話。

・・・他からの期待よりも、大学3年の時に世界チャンピオンになって、これが世界一のトレーニングなんだ、これをやっていればオリンピックでメダルを獲れる、と守りに入った。新たな挑戦はしなかったというのが、今思えば大失敗。今まであれも必要だこれも必要だと1年1年上乗せしてきたものを、その年だけ停滞して全く同じトレーニングを翌年もやってしまった。スポーツの世界で停滞、つまり成長がない時は後退なんですよね。

 どうでしょうか?
 多くのトップアスリートを観てきて、研修でも言うのですが、「トップの人ほど変化を求める」ということにつながる話だと思います。
 また、企業においても「成長がない時は後退」という言葉はそのまま当てはまります。

 このインタビュー内容は、特定非営利活動法人日本オリンピアンズ協会のホームページ “オリンピアンの人間力(ちから)”で全文を読むことができます。

 彰さん(嬬恋村には著名スケーター黒岩が複数いるので下の名前で呼びます)とは同郷で、何度かお会いしたことがあります。
 現在メジャーリーグで活躍中の松坂投手が西武ライオンズへ入団してまだ間もない頃、当時マネージャーをしていた彰さんが駐車違反の代理出頭をしたということで騒ぎになったことがあり、謹慎中に原宿のコクド本社へ訪ねて話したことを懐かしく思い出します。

 (ssys通信 Vol.10 より)